真理の御言葉を毎日聞いて、感謝、感動する毎日だが、これを聞いて、感動し、理解できる自分が素晴らしいと思う時がある。
だけれども、ついていくのも必死だし、大変だし、時に受け入れたくない御言葉もある。
そんな中、自分の罪を捨てられるようにもがきながら、生きたり、義を積もうと努力し生きることが信仰を守り通すことだと思うが、その積み重ねが大事だが、時にその信仰を守り通している自分に対して酔いしれてしまう時がある。
聖書に、出会えたこと。御言葉に出会えたこと。神様に出会えたこと。信仰を守り通せること。多くの人を救えること。千年王国の建国にあたり、一役を買える人間になること。世界を変えたれるほどの偉大な大使徒になること。罪から離れること。義を積むこと。誓約聖書に名を残すこと。全ては主の導きがあって出来ることを忘れてはいけない。
自分のやっていることは、神様に比べるとすれば、対比は出来ないほどの差があることを我々は一生をかけて、理解し続けなければいけないのです。
引用聖句
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起してみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵のある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力なものを選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、誰一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたは、キリストイエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。 コリント信徒への手紙第一26章~30節
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。
ヘブライ人への手紙12章1節~2節