明け方連続して起きられず、祈れず、不安になった時に、ふと思ったのです。
何で不安になるのか? 不信仰のゆえ、神様は私を捨てたと思ったから。落ち込んだから。自分の思い通りにならなかったから。
その全てがあり、祈れないわけですが、要は雑念がたくさんあるということです。
だけど、その中で特に明け方起きられなかった原因は、不安というものが大きいと感じました。
「休みの時に、明け方起きられなったら、仕事の時は尚更起きられないのではないか」「明け方起きられず祈れなければ神様から見捨てられたも同然だ」
直ぐ神様の愛を疑う。自分のちっぽけな愛だけで神様を推し量ろうとするから、疑う。
信仰の次元を上げることは、愛の大きさ、深さ、高さを知り続けること。そして、それには終わりがない。限界がない。
肉体だけで仕上げようとしていたから、限界にぶつかっていたのに。
今は、霊を知り、終わりのない愛を知ったのだから。
落ち込んでいる暇はないんだ。
悩んでいる暇はないんだ。
自分のために考えるから、苦しくなる。悩む。つまらない損得勘定。
愛と信仰の次元を上げないから、自分の考えで生きようとする。
愛と信仰の次元を上げたら、自分のちっぽけな考えに気づくことが出来る。
疑わず、どこまでも高く、深く、大きい神様の愛を知り続けられますように。
ヤコブの手紙1章6節~8節
いささかも疑わず、信仰を持って願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。
2017年9月8日(金)有料記事207(2017年9月16日)
神様はご自身の栄光よりも私たち義人の栄光を求めている。
45分半~ 神様は、神様の愛を信じなさいとおっしゃった。
神様の力だけではなく、神様の愛も信じることもた信仰だとおっしゃった。信じてこそ、愛することが出来る。
46分~ 愛は、相手が必ず、やってくれることを信じれるから愛。そう信じれるから、相手のために生きられる。