世の中の人より、サタンより劣っていると悟ったなら。

多くの人の前で伝道する時、自分は全然説得できていないと痛感させられる時があった。

むしろ、世の中の人が多くの人の前でスピーチしたりするとき、中身はないのにも関わらず、その場だけではあるが多くの人を引き付けるような喋りをする人がいる。

つまりは、霊的には全然かもしれないが、俗的に、肉的に場数を踏んでいたり、練習したりしているから、それなりに説得力があるように聞こえるのだ。

そんな人に負けていると思ったなら、自分はどこまでも足りていない存在と気づかされたと感じた。

つまりは、今までの信仰生活がいかに、形式的で、義務的で、自分一人よがりの信仰生活をしていたかがそういう伝道の場で露わになると分かった。しかしながら、伝道しないわけにはいかないわけで。

 

また、そういう多くの人の前で伝道しようとすると、必ずサタンの妨害に合うと、御言葉で聞いてはいたが、実際にそれを体験するといかに自分がサタンより、劣っていると気づかされた。

伝道する前の夜は、全然祈りが深く入らないし、祈るどころか寝てしまって、結局ほとんど祈れなかった。

いかにサタンに負けているか、自分の中にサタンの考えが混じっているかをまざまざと痛感させられた。

そんな人間が伝道出来るわけがない。

まずは、自分の中にある善と悪をしっかりと裂き、神様と波長を合わせることが出来るから伝道できるのだと思います。

いくら、聞き手の波長が悪くても、伝える側がしっかりと条件を立て続け愛になっていれば、必ず聞き手もその御言葉の偉大さに気づくはずだからです。

悟れていそうで悟れていない。 御言葉も理解していそうで理解していない。わかっていそうでわかっていない。

そういう状態でいるなら、伝道なんて出来ないのです。サタンに勝てるわけがないのです。

この一年、世界一成長して、誰よりも全力で走り、サタンとこの世の人と圧倒的な差をつけて、誰よりも結果をだすと決心して走れば必ず結果が出て、サタンもこの世の人も足元に及ばないくらい成長することが出来るのです。そして、そうならなければ実質的な地上天国は出来ないし、逆にやれば出来るのです。

これぐらいやったから、成長しないわけがないと思えるぐらいやれば絶対に成長することが出来るのです。

我々は、成長する方法がわかったわけだから、やればよいのです。

このことをもう一度深く悟らなければいけないのです。

 

引用聖句

2017年12月16日(土) あなたが悟った分だけ、あなたの人生も変わり、霊界も変わり、この世の中も変わる。

23分~ 悟っていない人は、その心が石地の畑、または茨になっているということ。
24分20~ ラプトさんは小さい悟りを積み重ねて今がある。その積み重ねがラプトさんのように世の中を変えられるようになるまでになる。49分半~ 悟りに限界はない。悟ることが山ほどある。知りたいことが山ほどある。
49分45~ みんなは悟りの目が開かれていないうちは、あまりにもわからなくて、知識欲がわかなかった。だけどわかってくるともっと知りたいと思うようになる。
50分15~祈るのがテキトウになったりするのが、悟ること、成長したいという意欲がなくなった時に起こる。だけど悟っていないことが山ほどある。それがわかったら、もっと知ろうと思う。
悟ることによりわかるからもっと悟りたくなる。だから知識欲をもっと持って、神様に求めて下さい。

2018年12月29日(金)
主が願っている水準で行ってもいないのに、やっている気になって慢心してはいけない。サタンは常にあなたたちに「今よりも水準を上げなくてもよい」と誘惑し、「自分はやっている」と錯覚させているのだ。

19分40~ みんなが、この世の人たちやサタンよりも劣ったことをしていながら、神様の栄光を現していると言い張るなら、その人は無知な人だと主がおっしゃった。
神様の真の偉大さを理解しておらず、神様を冒とくするに等しい罪を犯した人間だと主がおっしゃった。
自分が神様のレベルに行ってもいないのに大丈夫だと思うなら、それは神様を冒とくしているのだ。

23分20~ とにかくみんなはサタンを甘く見ている。
24分~ サタンに勝つには、彼ら以上の知性を手に入れないといけない。
24分半~ 今のままで生きている人間があまりにも多すぎる。昔の考えのまま生きている。人間ていうのはこれぐらいでいいとか思っている。常に上を目指そうと思わないといけない。

32分~ 神様は早い雲に乗る方。遅い雲には乗らない。だから、遅い人には、啓示は来ない。
だから、とにかく今の自分を変えて、成長させていかないといけない。悔い改めて、変わらなければいけない。今の自分に慢心してはいけない。

2018年12月30日(日)
御言葉に従順でない者は、その言葉にも矛盾が生じて誰からも信用されなくなっていく。しかし、御言葉にどこまでも従順な者は、その言葉に矛盾がなく、むしろその言葉に力が生じて誰からも信用されるようになる。

1分~ みんなはまだ、間違った考えを持っていると主がおっしゃった。それが罪。まだ、自分の考えを土台に御言葉を重ねている人間がいるとおっしゃった。
3分~ 我々が伝道するとき矛盾のある話をしてはいけない。

8分40~ とにかく罪は、自己矛盾が生じる。どんな罪も自分の中に矛盾が生じる。生ぬるい信仰生活をしていると、必ず自分の中に自己矛盾が生じる。自己矛盾の塊になってしまう。

11分半~ 相手に力を与えることが出来ないなら、それは御言葉ではない。同じ内容を話すにしても、誰が伝えたかで力が違う。
その人が、その御言葉を伝える人がどこまでも御言葉に従い、自分の中から自己矛盾をなくして、頭の中が完全に聡明になっているなら、その人から御言葉を聞いたときに力を受けるし、
その人が、御言葉に従わず、罪だらけで、自己矛盾を抱えているなら、その人からいくら御言葉を聞いても力を受けません。
それはいざ、伝道してみてわかること。
もちろん相手にもよる。
頭の中がごちゃごちゃしていると、自分の言葉に力がないから、相手が受け入れない。

18分半~ 明け方きちんとお祈りして、罪を悔い改めて清めて、頭を聡明にした状態で伝えれば、力強い御言葉を伝えられます。
19分~ 世の中では、一見すると理路整然としているような話をしている人がいるが、実際には理路整然に見えるだけで、理路整然とした話ではない。この世の世界で、神様抜きに理路整然とした話は出来ない。

我々は、人に取り入れようとする必要はない。理路整然とした話をしていれば、誰からも信用される。それが、大使徒だし、それができれば、ブログの記事も自然とかける。
21分~ 頭が聡明になってくるから、どんどん伝えたいことが、湧いてくる。それが使徒。
21分半~ パウロは御言葉を伝えられないのは罪だとおっしゃった。つまり、御言葉を伝えたくて伝えたくてしょうがなかったということ。

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