信仰が深まったということは、それだけ愛を悟った、神様に近づいたということ

信仰が深まった。強硬になった。とはどういう状態だろうか? つまりは、自分の古い考えを脱ぎ捨て、捨て去り、サタンの考えから解放された状態ではないだろうか。

では、そのように自分の考えを捨て去ることが出来た状態とは、どのような状態で、自分でどう判断し、理解できるだろうか?また、信仰が深まったと言える状態とは、どのような状態で、どのように自分で判断でき、理解できるでしょうか?

①自分の古い考え、サタンの考えを捨て去ることにより、自分の嫌なところがなくなり、生活が変わり、聖霊を毎日受け、神様と愛を成していると実感できた時。

神様の御言葉に忠実に従い、そのことにより、願いが叶ったこと。また、それを繰り返すことにより、今まで叶えられなかった、大きな願いが叶うこと。

③自分の考えを捨て去り、神様の愛を悟った時。また、それを繰り返すことにより、今まで感じられないほどの喜びに満たされ、神様と愛をさらに成すことが出来たとき。

このように、信仰が深まったとは、自分の考え、サタンの考え、古い考えを捨て去ることであり、更には捨てるだけではなく、神様の考え、つまりは、愛を悟り、聖霊という喜びに満たされ、神様の願いを叶え、自分の願いも叶え、昨日より今日が良いと思え、毎日が最高と思え、神様と毎日近くして生きられていると実感できている状態のことを指すのです。

このように、愛を悟り続けるには、毎日心と思いと精神を尽くして神様を愛さなければ、どこまでも次元の高い愛を悟ることは出来ないし、全力で突き詰めて生きなれれば、古い自分、間違った自分の考えに気づくことも出来ないし、間違った考えに気づかなければ、古い自分を捨て去ることは出来ません。全力で生きるためにも、毎日を無駄に過ごしていたら、決して愛を悟ることは出来ないのです。信仰を深めることは出来ないのです。

 

引用聖句

 

 

 

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