信仰生活は、この世の何よりも贅沢な生活

信仰生活は、喜びと希望に溢れる生活です。しかしながら、続けていれば、壁にぶち当たります。

何故なら、人間というものは、同じことを繰り返して生きて来たから。

しかし、愛は、どんどん次元を上げていかなければ愛ではありません。

ここが、人間と神様の大きな違いです。

人間は安定を求めます。それは、ある意味現状維持を求めて、それが幸せだと思って、公務員になろうとします。

でも、それは人間の考えであって、現状維持が幸せではないのです。

愛になるためには、次元を日々上げていかなければいけません。つまり、壁を越えていかなければいけません。

そして、その壁を乗り越えることを楽しみとしなければりません。

それを楽しめた人こそ、真の義人ではないでしょうか?

信仰生活は、肉的にはいいことばかりが、続くわけではありません。

よく、山あり谷ありの人生というが、谷の時も喜んで、生きている人が、義人です。谷の時に喜んで生きるとは、どういうことか?

聖霊に満たされているから、谷の時にも満たされているのです。

 

ですから、信仰生活は、この世の何よりも贅沢な生活と言えるのです。

そういう自分に日々作り替えていってください。

そういう人が、愛になれるのではないでしょうか?

 

お金があるから、贅沢ではないのです。毎日、自由に好きなものを食べて、自由な生活が贅沢ではないのです。

世界一、贅沢な生活は信仰生活なのです。

ですから、皆さんは愛になるべきです。それが、どれほどの恵みでしょうか!

 

引用聖句

わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようで、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。

コリント信徒への手紙第二 6章8節~

 

 

 

 

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