偉大な神に導かれた瞬間

とにかく、今は戦争中。サタンとの戦いの時。

毎日、朝1時に起きることを目標としている中で、どうしても世の仕事をすると体力的にも、霊的にも毎日その時間に起きるのは、難しいと信仰生活をしている人なら、誰でも理解できることだと思います。

ましてや、ラプトさんの御言葉が出ない日が続くと尚更の事です。

そして、毎日主の恵みを負い求めていく中で、どんどん追い詰められていく感じがあった。きっと、連日の仕事の疲れと、朝起きることで、肉体が疲れていたのだと思う。いつものように寝る前に「朝1時に起きれますように」と願いながら祈った。 しかし、半分は、疲労で起きるのが難しいかもと、過去の記憶からそう考えていた。

結果から言うと1時に起きられた訳だが、何故起きられたのかと言うと、1時に何故か台所に捨てられずためて置いた、ジュースの瓶が台所の流しの中にガシャンと落ち。その音で目が覚めた。

そして、時計を見たら、1時という訳で。

「そこまで露骨に主が執り行って下さったという気持ちが嬉しさを通り越して、笑いが出てしまった」

そして、祈った瞬間、一瞬にして祈りが深く入りました。

とにかく信仰生活はアブラハムが信じたから義とされたとあるが、それと同時に、限界までやるから、主が救いの手を差し伸べて下さるのだと悟りました。

ただ、ガムシャラに信仰生活はしてはいけない。だけども、考えて、限界までやる。魂をつめてやる。

妥協せず、常に上を目指し、毎日古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分に作り替え、主に毎日近づけますように。 アーメン。

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