心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。

神様は、心を見る方。どこまでも、心の奥底まで見る方。

人間は、心が変わらなければ、行いも、考えも、全てが変わらないです。

だけれども、心が変われば、考えが変われば、行いも、行動も変わります。

そして、その心、考えを変えるためには、何度も言うように自分の考えを捨てなければいけません。

自分の考えを捨てて、そして、神様の考えを聖書から、御言葉から学び、そして、祈ることにより神様の考えが伝わってきます。

祈りは、神様との対話の時間でもありますが、神様の愛の考え、どこまでも超越した頭脳を学べる時間でもあります。

その大事な朝方の祈りの時間に、適当な中途半端な祈りを捧げていて、神様と波長を合わせることが出来るでしょうか?

神様はどこまでも、情熱的で、理知的な愛の方。

サタンは、どこまでも、形式的、義務的、上辺だけの存在です。

形だけの祈りをしていても、それはある意味、サタンと交信するようなものです。

我々は、神様と対話させていただき、神様に願いを叶えてもらわないといけません。

 

最近、神様の愛をあまり感じられないなと祈りの時間に感じていた。

それは、何だろうかと思っていた。だけど、御言葉でちょうど出て、これだと悟りました。

今すぐ叶えてほしい。今すぐ叶えて下さい。 そういう祈りが、心と精神と思いを尽くして祈ることではないでしょうか!

いずれ、叶えてほしい。いずれ悪人がいなくなればいい。 まだまだ考えが甘い祈りをしていた。

また、自分が主人意識を持って、祈らなければなりません。

自分が世界を変える。自分が世界の歴史を作っていく。

今も、ラプトさんの発言が心に刻まれます。

自分一人で世界を変えるぐらいの気持ちがないとだめだ。

我々一人一人がそのような気持ちで祈るならどれだけ、義なる世界が早く、壮大になされることでしょうか!

 

だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。マタイによる福音書25章29節 この聖句をどこまで信じられるかではないでしょうか!

これが、今日神様と愛を成した、また一つ悟ることが出来た愛の経緯です。

 

 

引用聖句

ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 マタイによる福音書22章

 

彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はいない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切に答えをしたのを見て、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。 マルコによる福音書12章28節~34節

 

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 ルカによる福音書10章25節~28節

 

 

だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。マタイによる福音書25章29節

 

また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の図る秤(はかり)で量り与えられ、更にたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」マルコによる福音書4章24節25節

いずれ祈りが叶うだろうと考えて祈るのではなく、今すぐ叶えてもらうのだと考えて祈りなさい。そのような決死の思いで祈ってこそ、心と思いと精神を尽くして行う人だと主が認めてくださる。 朝の祈り会2018年11月27日

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です