なぜ、『聖書では、敵を愛し、迫害する者のために祈れ』というのでしょうか?
以下が聖書の引用箇所です。
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
(マタイによる福音書5章43〜45節)
しかしながら、以下のことも書いてあります。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。
なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。
悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
(ローマ人への手紙12章19〜21節)
神様は、何度もいうように愛の方。ですから、人間を愛すことはもちろんですが、罪をどこまでも妬み嫌います。
また、神様に愛される人間をどこまでも神様は愛します。
つまりは、どこまでも神様に対して義を積んで生きている人間です。
神様に義を積んだ人間、つまりは神様に愛される人間はどこまでもその人間を守りたいと思います。
神様に愛される人間を迫害するものがいるなら、つまりは神様が必ず報復するということです。
では、なぜ、聖書では、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言っているのでしょうか?
それは、敵を憎んだりすることは、サタンに属している。つまりは罪に属していることになるからです。
我々は完全にならなければいけなせん。
「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」と言っているのはそのためなのです。
引用箇所
神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。 ラプト通常記事より