愛せるようになるために、愛することの素晴らしさを知るために、信仰の4本の柱を立てる

恵みに満たされないと、そればかりにフォーカスがいき、いつの間にか神様ではなく、自力でやり出す自分がまだまだいます。
結局は救いを第一にしていないからと何度もラプトさんが伝えて下さっています。

自分のために生きることが体質になっていた私は、相手のために生きるということが根本から出来ていないことが分かります。

「子供ができたら、何で喜ぶのか? それは愛の対象が出来るから嬉しい。それを愛せる人は自分しかいないから」
「人間は、愛する対象が出来るだけで嬉しい」
朝の祈り会2018年2月5日(月)
神様の愛を手に入れた人が、天地万物のすべてを手に入れた人だ。

御言葉から神様を知った。だけど、神様からもらうことばかり考えているから、恵みを受けられない。
だから、本当の意味で、神様を知らないのだなと。

神様という存在を知ったなら、その人の喜びのために生きる。
何より、この世の全てのものをお持ちで、罪という欠点が何一つない。
その方に自分から近づくことが出来る。

神様という愛せる対象を御言葉から教えていただいた。
そして、教えていただいて、知っただけではその時、満足して終りになるだけ。

神様を第一に愛すという戒めを実践をしてこそ、その素晴らしさを本当の意味で分かる。理解出来ることが出来るのだなと。

そのためにも、信仰の4本の柱を立てなさいというのだなと。

だから、神様の偉大さを今知って、満足するだけでなく、どれだけ日々、愛することの素晴らしさを知りたいか。
そのために、実践、行動する。

受けるより、与える方が幸いである。
使徒言行録20章35節

この言葉が自分の常識となりますように。

参考とした御言葉です
朝の祈り会2018年2月5日(月)
神様の愛を手に入れた人が、天地万物のすべてを手に入れた人だ。

朝の祈り会2022年8月23日(火)
信仰の4本の柱を徹底的に立てて、聖霊の恵みが尽きない生活をしなさい。そうしてこそ神の体となり、神様の使命者として大きく使われる者となる。
※信仰の4本の柱とは、「御言葉(聖書)」「祈り」「賛美(感謝)」「伝道(証、情報拡散)」です。