ひとつ前の投稿で、愛は、もらうことばかり考えていては、それは愛ではないと話をしました。
愛は、与えるもの、それが幸せと思ってこそ、愛になっているといえるのではないでしょうか?
では、愛を与えるとは、どうすべきなのだろうか?
人にやさしくすることか、隣人が、困ったことがあったなら、助けるとか人間的に考えればそんなところでしょうか。
でも、愛は神様からこないわけですから、神様に繋げることが愛なわけです。神様という愛の本体を我々義人が紹介してあげて、そこから、神様を愛し続けるかは本人の自由なわけですから。
だから、隣人を愛するとは、伝道なのです。
つまり、多くの人を神様のように、愛したいと思えば、必然的に伝道し、多くの人を結果として救い、主がその人に祝福し、結果として偉大な大使徒になるのです。
引用聖句
朝の祈り会 2018年8月31日(金)
伝道とはどれだけ主を愛し、どれだけ隣人を愛するかという愛の競争だ。そして、主が最も願っていることが伝道だから、伝道してこそあなたの願いも叶えられていく。