聖書で根本となる戒めに、主を第一に愛して、第二に隣人を自分の事のように愛しなさいという聖句がある。
人間的に見るために、第二の戒めから考えていこうと思います。第二に隣人を自分のことのように愛しなさいとある。まず、世の中では、自分のことを大事にしている人はどれぐらいいるでしょうか?
お酒やタバコ、体に悪い食べ物を平気で食べたり、飲んだり、場合によっては、麻薬に手を出す人がいます。
なぜ、体に悪いことをするのでしょうか? 自分を愛せていないからといえますが、愛をわかっていないから、そのようなことをして、
自分の体を壊しているのだと思います。
自分の肉体を大事に出来ない人が、隣人を愛せるでしょうか? また、第二の戒めを守れない人が、第一の戒めを理解することが、出来るでしょうか?
また、隣人を自分のことのように愛していても、第一の戒めは、そのレベル以上に愛さなければ第一の戒めを守っているとは言えません。
第二の戒めを守っている人はたくさんいても、第一の戒めを実践出来ていなければ、御心を成していない、全く何もしていないということなのです。
ですから、第一の戒め、主を愛しなさい。 これがどれだけ次元の高い御言葉なのかを我々は、悟り続け、愛を悟り続けないといけないのです。
神は愛。 愛は、神から生まれるものであって、神を知らない人は愛を知りません。 とあるが、第一の戒めを実践し続けて、愛を成長させ、愛を理解し、愛に近づき、神に近づくことが出来るのです。
そのことにより、同時進行で、第二の戒めを守り、次元を上げることが出来るのです。
では、どうすれば、愛を理解し続け、愛の次元を上げることが出来るのでしょうか? それは、祈ることでしか、本当の愛を知ることが出来ないのです。だから、祈りなしに、信仰生活はあり得ないのです。
ですから、祈れば全て与えらえるし、祈らなければ、それは信仰生活をしているとは、間違っても言えないのです。
全ての人が、愛になれますように。
引用聖句
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 マルコによる福音書12章28節~
わたしが、あなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 ヨハネによる福音書15章12節13節
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 ヨハネの手紙第一4章7節8節
兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちをたすけるために慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、わたしたちは、テトスに、この慈善の業をあなた方の間ではじめたからには、やり遂げるように勧めました。あなたがたは、信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。コリント信徒への手紙第二8章1節~
朝の祈り会 2017年12月13日(水) 我々が祈り求めてこそ、初めて主の御心がこの地に実現する。