何で、人間関係が上手くいかないのか?結婚生活が上手くいかないのか? 会社で働く者同士、ぶつかり合うのか? 何でご近所同士でいがみ合うのか?
また、何で、異性を手に入れたとしても幸せが長続きしないのか?何で、欲しいものを大金をかけて手に入れたとしても幸せにならないのか?
つまりは、愛になっていないから、人間関係もうまくいかず、欲しいものを手に入れたとしても幸せにはなれないのです。
愛になっていないとはどういう状態のことを指すのか? つまりは、霊的に満たされていないから、苦しい、つまりは霊が健康な状態を保っていない。霊が病気になっているということです。
霊が病気になっているとは、どういう状態のことを指すのか? 霊が病気になっていれば当然苦しいし、何かスッキリしない。しかしながら、世の中の人は、それが慢性的になっているから、病気になっていることすら、わからなくなっている。これが問題です。
霊の病気といっても、わからない人のために説明しますと、体の病気のことを考えてみればわかると思います。
風邪を引いて、熱があると苦しいし、だるいです。37℃ぐらいだったら、なんかだるいぐらいで済みますが、39℃以上だと、何をするにも苦しいです。しかしながら、39℃の熱が毎日続くと、仕事も休むにも限界があるし、数日間、我慢して、働くことは出来ても一生を熱のある状態で働くことは、出来ません。やったとしても苦痛の連続です。そしてそれを我慢したとしても何もなりません。
仕事だけではありません。風邪を引いた状態で、どこかに出かけるときも、苦痛だし、どこかで美味しいものを食べるのも風邪をひいていると美味しく感じることもありません。味覚も本来のものを感じることが出来ません。
また、風邪を引いた状態で、理想の異性を手に入れようとか、欲しいものを買えば幸せになれると、未来に夢を膨らませても、例えその異性や高級品を手に入れたとしても、自分が風邪を引いているから、どこかにその好きな異性と出かけても苦痛でしかないし、また、その異性も風邪をひいています。さらに、その異性が自分より重度の風邪か、その他の病気かもしれません。
病気の状態では、どんなに高級品を手に入れたとしても、その病気を治してから、その高級品を喜べるものです。
乗りたい理想の車も、病気の状態で乗りこなしても、苦痛でしかありません。誰もが、病気を治して、健康な状態で乗りたいと思うはずです。また、異性とも、どこまでも健康な状態でお話したり、出かけたりするから、楽しめるわけです。人間の場合お互いが健康であるから、楽しめるのです。片方だけが健康でも楽しめません。
我々は、肉体は健康だとしても、心が、霊が病気なら、仕事も遊びも24時間全ての時間が、苦痛でしかありません。そのような状態でものを買ったとしても、異性を手に入れたとしても、幸せになれるわけがないのです。
ましてや、その病気が重度であれば重度であるほどなおさらです。
最も怖いのは、重度の病気にかかっているのにもかかわらず、慢性的になりすぎて、その病気が病気とも分からず、病気の状態が普通だと、本来だと思ってしまい、しまいには、少しづつ症状を悪化させていくことです。
そして、病気をほおっておいたら、いずれその人は何らかの形で倒れてしまいます。
そうならないうちに、我々はどこまでも、御言葉を読み、悟り、信仰の4本の柱をたて、罪から離れ、病気を治し、神様を愛し、御国を求め、日々、自分を健康な状態、清潔な状態を保っていなければいけないのです。
引用聖句
あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。 コリント信徒への手紙第二 6章14節
愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受けているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。 コリント信徒への手紙第二7章1節
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 ガラテヤの信徒への手紙5章16節
朝の祈り会 2019年1月13日(日)
義人にとって今年一年は、今まで以上に豊かに聖霊に満たされる年になるだろう。(聖霊に満たされた人は、この世のもので心を満たそうとする必要がなくなる。だから、悪い欲望を抱くこともなく、心がより清められていく。)