断食祈りと御言葉の重要性

祈っても深く入らず、神様が遠く、信仰の4本の柱を立てているつもりでも、何かスッキリしない日が続いた。

断食をする週末など、結婚式があったりと出来ない日が続いた。昨年の末から、週に一回、断食を続けてきた。たまに2週間に一回だったこともあったかもしれない。

だが、今回は3週間ぶりに断食をすることになった。また、3週間目は御言葉がストップした。

断食を毎週していても、便秘になったり、祈りが深く入らないようなこともあったから、断食も大変だから、断食を毎週もやる必要がないんじゃないかと、勝手に自分のいいように考え始めていた。

そして、断食を2週間もしないと、祈りも深く入らないし、無駄に寝てしまったり、要は生活が肉的に傾いてしまうということ。

怠惰な生活に溺れ、無駄にyou tubeを見たり、頭が回らないから、頭を回転させることが面倒臭くなってくる。また、自分の声が神霊なものではなく、肉的な声になっているのがわかった。

考えることも出来なくなり、考えることが嫌になってくる。朝も起きられなくなり、祈りも深く入らない。

聖書も読むことも面倒になってくる。つまり、信仰生活がしんどくなってくるということ。

霊で生きること。喜びで生きること。 これを決して忘れてはいけない。

聖句引用箇所

わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。~ ガラテヤの信徒への手紙5章16節~22節

自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである ~マタイの福音書10章39節~

忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい ~ルカによる福音書21章19節~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です