明け方だけしっかり祈ればいいという野暮な考えは捨てないといけない。

正社員で働いている時は、時間さえあれば、霊的に沢山投資出来ると考えていました。

だけど、実際に、会社を辞め。これから霊的に投資できると思っていたら、実際は、自分のために時間を使ったり、明け方だけは必ずと思って、眠りにつき、気づいたら4時頃になっていることに気がつきました。

何で? 時間が与えられたら、これでもかというぐらい、霊的に投資しようと思っていたのに。

落胆する日が続きました。

そして、いつの間にか聖書を読む時間も減っていきました。

自分のやりたいことをいつの間にかやっている自分がそこにはいました。

ここまで御言葉を頂いているのに、いまだに自分勝手に生きるのか? 体が、頭が自分の好き勝手に生きている。

何故だろうか?

色々と考えていると

「世のもので満たそうとするから、世の基準で生き続ける」

「自分の好き勝手な考えで幸せになれると思っているから、幸せになれない」

「捨てているつもりでも捨てられていない」

「変わるためには今日までの自分の考えを捨てること」

「捨てたら、今までやらなかったことをやること」

 

後悔のない人生を送りたい。

毎日、今日一日を生きられて本当に良かったと思っていたい。

そのためには、昨日できなかったことを、今日できるようになっていたい。

昨日できなかったことが、出来るようになった。それが成長したということ。そして、成長したなら、後悔のない日を送ったということ。

そうしないと、自分の人生を設計、積み上げて行かれない。

2021年8月27日(金)
毎日、成長して変化していく人は、毎日が喜びと希望と感謝に満ち溢れ、人生を後悔することがなく、人生をやり直したいとも思わない。そして、主がいずれ必ずその人に大きな使命を与え、成功と繁栄を保証してくださる。

16分?~ 世の人々は、人生を出来ればやり直したいと思いながら生きている。何でか?それは、変化しなかったから、成長しなかったから、やり直したいと思う。
でも、失敗した人でも、成長した人は、やり直したいとは思わない。

そのためには生まれ変わるしかない。

生まれ変わる(成長する)ためには、明け方を祈るしかない。

明け方しっかりと疎通するためには、日中、義の条件を立てないといけない。

2022年2月6日(日) 聖三位がこの地に降臨している今こそ、祝福の時だ。しかし、祈って聖三位と疎通できない者は、霊魂が成長できず、受けるべき祝福を受けられない。祈って聖三位と疎通する者が、霊的に成長し、受けるべき祝福を余すことなく受けることができる。

1分20~ 義は、深く祈るために行うもの。平素から、義を行っていない人は、明け方祈っても深く祈れない。

 

義の条件を立てるから、神様と疎通できるチャンスが出来る。

つまり、義の条件を立てて、明け方祈り求めて、それを継続することにより成長していく。

 

心の底で求めていた生活。

早くこの義なる生き方に乗っかりますように。

 

 

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