我々は、全員大なり小なり、罪を犯している。
だから、毎朝の祈りの時間に、罪を悔い改めても、なかなか清くなれない感じがあったり、更には、生活の中で結局その罪を犯したりする場合がある。
神様は、いつ自分の事を裁くのだろうか? こんな自分なんか愛されないだろうな?とかそういう感じに落ち込んではいけないということ。それこそサタンの思う壺なわけで。
愛は全ての罪を覆う。箴言10章12節
神様は、あくまで愛の方なわけで。我々の人間的な愛、や考えで神様の愛を理解してはいけない。
親が子を愛す時、子が親の愛を感じるのと、親がどれだけの愛で子を愛しているでしょうか? その両者の感じている愛には差があります。
なぜなら、子は親ほどの愛の次元を知っていないから。また、愛を最初から知っているのは、親だから。
神は愛。また、親が子供を最初に愛したように、神様は、人間をお造りになり、人間を愛した。
我々人間が最初に神様を決して愛したわけではないのです。決して自分勝手に、人間的に神様の偉大な愛を理解しようとしてはいけないのです。
最近、この聖句が頭に浮かぶことが多々ある。
すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ」これこそ人間のすべて。 ͡コヘレトの言葉12章13節