毎日、霊を清めることが、自分を好きになるための第一歩

わたしたち、一人一人はそれぞれ自分の嫌なところがあります。

では、なぜ嫌なところがあるのでしょうか?自分と他人を比較して、劣等感があるからではないでしょうか? また、人それぞれ劣等感を抱くポイントも様々です。

自分は、お金がない。収入が少ない。異性にもてない。外見が悪い。頭が悪い。自分は社会から必要とされていない。小さいことでクヨクヨする。暗い。落ち着きがない。他人と比較して、自分の劣等感を感じるところはきりがありません。

 

しかしながら、その劣等感が仮に解決しても満たされるでしょうか? お金が仮にたくさん与えられても、別の劣等感が発生します。

外見が誰よりもカッコよくなったり、美しくなったとしても、別の所が気になったりします。異性を手に入れたとしても、本当の心の隙間は埋められないので、別の異性を求めたりします。

つまりは、人間の劣等感や、嫉妬や他人に対する羨みは終わりはないのです。つまりは、神様の言葉で言い換えるなら、罪には終わりがないのです。限界があるのです。

では、どうすれば、自分の劣等感を感じることなく、他人を羨んだり、嫉妬したりすることがなくなるのかというと、これは言うまでもなくどこまでも自分のことを好きになるしかないのです。つまりは、愛に近づき、愛になるということなのです。

では、どうすれば、自分のことを好きになることが出来るのでしょうか。それはタイトルにもあるように毎日、罪を悔いあたらめ、霊的な恵みに満たされ続ければ喜びに満たされ続け、そうなれば喜びが爆発し、自分の人生をどう設計していくか、どう有意義に作っていくかを考え、毎日を生きるようになります。つまりは、自分の個性や才能をどう伸ばしていくかにつながるのです。

 

ですから、結局のところ罪を悔い改めることは、一見すると大変な作業のように感じますが、結局はそれだけで愛に近づいているし、自分の幸せにもつながり、自分の個性や才能を伸ばしそれを人々に伝道のために使い、述べ伝えていくなら、結局のところ主の御心にかなっているということなのです。

罪は、毎日清めないければいけません。毎日、部屋の掃除をすることにより、その場所が居心地が良いわけで。掃除をしない日が続けば、その場所にいるのが嫌になってしまいます。つまりは、部屋を掃除する気持ちがなくなっていくのです。そして、どんどん掃除をしなくなり、場合によっては、ごみ屋敷になってしまいます。

このように、罪は、毎日清めて、自分の霊を清めていかなければいけません。霊を清めることにより、心が軽くなり、喜びに満たされ、自分の人生は充実していると思える第一歩なのです。また、恵みに満たされ続けるためには、信仰の4本の柱(祈り、御言葉、賛美、伝道)を立て続ければ、必ず、恵みに満たされ続けるのです。

 

タイトルの通り、罪を毎日清め、神様を愛し、神様に愛され、使われるようになれば、霊的な恵みに満たされれば、自分のことが好きになり、どこまでも自分のことが愛おしく思え、自分の人生をより有意義に生きようと思い、心が変わるから、行いも当然変わってくると言えるのです。

引用聖句

朝の祈り会 2018年10月8日(月)
霊的に汚れて霊的に苦しむ人は自分のことが嫌になり、人生を適当に生きるようになるが、
霊的に清めて霊的な恵みに満たされた人は自分のことが好きになり、自分の人生をより有意義なものにしようと努力するようになる。

朝の祈り会 2018年10月27日(土)
神様を愛する人だけが、自分の運命を好転させることができる。(自分に勝利した人だけが、サタンにもイルミナティにも勝利できる。)

 

 

 

 

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