自分の考えより、遥か次元の高い方からのプレゼントをいただいたなら・・・

信仰を持った最初のころは、新潟でサラリーマンをしながらでも信仰を守り、成長し続けれると思っていたけど、そう思ったのもつかの間、時間が経つにつれ恵みを受けられる時間がどんどん減っていきました。

どうしよう。仕事を辞めたら、自分は食べてはいけない。

だけど、このままでは、絶対成長出来ない。

そう思って祈り求めていたら、2021年にここなら霊的に登って行けるのではないかと思い、とある会社の面接を受けました。

しかしながらそこは不合格。 落胆はしましたが、御心ではないのだなと素直に認めることができました。

だけど落ちたら落ちたで、次の環境を作り出さないと、今の環境ではとても毎日明け方の祈りは守れない。聖書もろくに読めない。

だから、その後も引き続き、更に祈り求めました。

「毎日、1時から4時半祈りたいです。今の会社に居続けろと言うなら、居続けますが成長出来ません」

 

そんな時、昨年の2022年8月に、ここなら御言葉通りに奪われることなく、霊的に成長出来るのでは!という場所を見つけることが出来ました。

だけど、場所は東京。 新潟から東京?

ちょっと躊躇したけど、東京への憧れが心の底にはありました。

 

8月末に面接を受けて、その場で採用のお返事をいただき、こちらの都合で来れる時期でいいから来てほしいと言われました。

 

そして、2023年になり、1月から東京に引越してきて、新しい環境で新しい職場で働くことになりました。

何より、神様との愛の次元を高めるという期待を込めて。

そして、実際に信仰を高めるためには時間が必要だと御言葉が宣布されて、実際に時間を上手く確保できると思っていましたが、そんな不安は心配無用でした。

想像を超えた職場環境で、これならどこまでも神様を知り、近く出来ると確信しました。あとは、自分が寸暇を惜しんでやるだけだと。

 

そして実際に、毎日昼間から、聖書を読んだり、お祈りしたり、神様を意識したり・・・

その中で、分かったことは、神様の想像を超えた祝福を受けると、いかに自分の考えが小さいものだったのかと。

今の職場環境は、自分の頭で考えだしたものではなく、神様に祈り求めた結果で、神様が祝福をして下さったと確信します。

そしてその祝福を実際に体験してみるなら、その時に、はっきりと自分の考えや損得勘定が無価値なものだったと理解します。

今までの成功体験など、全てが古く、過去の産物にすぎないと。

だから、祝福を得たり、願いが叶うまで信仰の4本の柱を立て続けて、最後まで走り続けることが答えなのだと理解出来ました。

 

まさか自分なんかに! というのが、正直な気持ちです。

環境は与えられた。そして、その祝福でどれだけ神様に近づけるかが、本当のスタートです。

 

今回の出来事を通して感じたのは、どこまでも神様に近づきたい人が神様に認められ、近づく権限を与えて下さるのだと思いました。

なので、「自分なんかが神様に近づける訳がない」と思っている方がいるなら、その気持ちすらもぶつければいいと思います。

問題なのは、諦めて大して祈らないこと。

 

神様に気持ちをぶつけること。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。~まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物を下さるにちがいない。」マタイによる福音書7章7節~

「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたの事を気にかけていて下さるからです」ペトロの手紙第一5章7節

 

信仰による義を理解した出来事でした。