「神様中心」ではなく、「自分中心」。
言葉にしてみるとハッキリと二心と分かるのに、普段の生活に戻ると自然と自分中心の生活をしている事に気づきます。
その生活を止めるために、信仰の4本の柱を自分の人生の最大の喜びとしなさいと言うのだけど、最初はそれをやると楽しい。心が楽になるからやっている程度でした。
だけど、その考えて祈っていても、段々恵み深く祈れなくなっていき、そして苦しくなる日が増えて行きました。
その時に深く考え原因を探していきました。
そして、新しい御言葉が宣布された時、最近、自分の願いばかりを祈っていることを痛感させられました。
そして、叶わないから、もっと祈ろうとするんだけど、自分の事ばかり、祈っている。
そして、神様の願いをほとんど祈らず、祈ったとしても、本気で祈ろうとしない。
2023年5月14日(日)
真理を受け入れることが祈りを叶えるための前提条件だとするなら、愛のかたまりへと成長することが祈りの力を強くしていく必要最低条件だ。
(真理を受け入れた人の祈りはどんな祈りも叶えられるが、私たちがどんな祈りを捧げるかによって天からの評価が変わる。天から高く評価された分、その人の祈りの力は強くなっていく。)
2023年5月15日(月)
祈りの力が与えられた人が何を祈るかは自由だ。だが、何を祈るかでその人の運命は大きく変わる。神様の御心に最もかなった祈りを捧げる人が、天で最も大きな祝福と栄光に包まれて生きられるのだ。
「自分の思い描いた人生が必ず幸せになれる訳ではない」この御言葉を聞いた時、ハッとさせられました。
自分の人生も委ねる。そのために心を空にして祈り求める。
朝の祈り会 2021年3月26日(金)
祈ったと言いながら行わない人は、観念的な信仰生活をしている人であり、何の実も結ばない人だ。真に心から熱く祈り求めるなら、主から熱い感動を受けて行うようになり、多くの実績・功績を立てて霊肉ともに満たされた生を生きられる。
つまり、自分の考えで生きるのではなく、神様の考えを第一優先にして、そこから祈り、答えをいただく。そして答えをもらったなら、それを形に表す。
口で言うのは簡単だけど、明け方の祈りを守り続けるためには、ここに行き着いた段階です。
明け方の祈りを守りたいのは、自分の考えでは幸せになれないと分かるからより良いものを求めるために祈っているのです。
より良いものを得続けるために、自分の考えを捨て続ける。
そして、明け方の祈りで答えを得たいなら結局明け方だけでなく、日中もつまり24時間祈り求めないと明け方深くお祈りできない事に気がついてきました。
そのためには、遜り続けないとできない。求め続けないといけない。
祈り続けるためには、自分では何もできないと理解して、自分の考えを捨てる。
そして、神様の幸せだけを願う。神様を愛せば、自動的に必ず愛が返ってくることが信仰により分かるから。
ああ、だから遜る人が高められると聖句にあるのはこういう理由なんだなとこの証を書きながら分かりました。
遜る。つまり、自分では何も分からず、幸せを手に入れることは出来ない。
そして、より大きなものを求めてこそ、神様の偉大さがどんどん分かっていく。
「自分中心で行くと、結局悪魔の方に行く」
「人間は、自分では光ることは出来ない。照らされてこそ光ることが出来る」
有料記事33(2016年1月11日 )神様がそれぞれの人生に定めておいた時。より
神様中心にして、愛せば、人生の全てが変わる。
ここを知らず知らずのうちにサタンにズラされていました。
これから、もっともっとよこしまな心を持たず、一筋の心で、神様の願っていらっしゃることをまず祈り、そして自然と愛で行う人間になれるから、希望を持って、毎日、より大きなものを求めて信仰生活を行って行こうと思わせていただいた2日間連続の御言葉(2023、5.14~5.15)でした。
2023年4月30日(日)
少しでもよこしまな心があると、いずれ真理を吸収できなくなる。全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収できる。そうすると、その人はサタンに完全に勝利し、自然と多くの人々に真理を述べ伝えるようになる。
よこしまな心→正しくない、道を外れたことを企てる心などを表す言い回し。