観念的な信仰は、もう卒業しよう。

ハルマゲドンが終わり、自分が愛で満たされてくると、いい加減、御言葉通りに従おうと言う気持ちが生じて来た。

明け方お祈りして、昼間お祈りして、神様を意識するだけで、混じりけのない偉大な愛を感じることが出来る。

もう信仰生活を朝会を始めたころから真剣にやり出したから、もうすぐ4年になる。たくさん神様の愛をいただいたから、いい加減お返ししたいと思えるようになってきました。

特に信仰生活をする中で、自分は、祈ってばかりで、情報拡散も得意ではないし、証しもたまにしかやらない。たくさんもらっているのに、これでは誰も振り向かない。

でも、ハルマゲドンが終わり、一気に聖霊を受けるのを感じてきたら、後は、自分がこれをどれだけ形に現わせれるか。お返しをしたいと思えるか。

 

観念生活は何の意味もない。御心が成されないから。

朝会2021年3月26日(金)
祈ったと言いながら行わない人は、観念的な信仰生活をしている人であり、何の実も結ばない人だ。真に心から熱く祈り求めるなら、主から熱い感動を受けて行うようになり、多くの実績・功績を立てて霊肉ともに満たされた生を生きられる。

 

祈って聖霊を受けて満足していた自分がそこにはいた。満足していたし、慢心していた。勝手に愛をもらっておきながら、それで終わりにしていた。

でも今はどう考えてもラプトさんが伝える神様の力によって、全く別次元の人間になったことを感じています。

そのいくつかを紹介したいと思います。

①毎日明け方自然と起きられるようになった。

 

②祈って、聖書の神様を呼び求めることにより、自分の頭がクリアになり、善悪の区別が付けれるようになり、仕事をこなすスピードが早くなった。

 

③考え、つまり思考回路を神様に似せることにより、内面が変わるから、自然と外側、行いであったり、行動が変わる。

 

 

 

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